大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長崎家庭裁判所佐世保支部 昭和56年(日)421号 判決 1982年8月10日

原告(準再審申立人) 間垣タカコ

被告(準再審相手方) 長崎地方検察庁佐世保支部

検察官 ○○○

主文

本件訴えを却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  原告は「原告より亡間垣カクに対する当庁昭和三九年(家)イ第九〇号親子関係存在確認審判事件について、当庁が昭和三九年九月二二日に為した審判を取消す。」旨の判決を求め、請求の原因として以下のとおり述べた。

1  原告は亡間垣カクを相手方として長崎家庭裁判所佐世保支部に親子関係存在確認調停申立をなし、同裁判所は右当事者間の合意に基づいて、同庁昭和三九年(家)イ第九〇号事件として審理し、昭和三九年九月二二日「申立人(間垣タカコ)は相手方(間垣カク)と亡間垣多三郎との間の四女であることを確認する。」旨の審判をなし、右審判は同年一〇月一五日確定した。

2  原告は右審判を受けたうえ、同裁判所に同趣旨の戸籍訂正申立をなし、その許可を得て、原告が亡間垣多三郎と間垣カクの四女である旨の戸籍訂正をした。

3  しかし、原告は訴外山田陽一と同田守ハルとの間に生まれたものであり、前記審判は真実に反している。

4  原告は前記田守ハルの子として出生届がなされたものの幼少時からハルの妹である間垣カクに養育され、終戦後一時別々に暮らしていたが、昭和三五年ころ佐世保市内で再び同居することになつた。そして昭和三六年一月に生活上の便宜から間垣カクと養子縁組したところ、右手続を依頼した司法書士から原告が田守ハルの私生子であることを指摘され、父親がいるように戸籍を訂正した方がよいと勤められ、同時にカクも原告を自分の実子にしたいと希望した。

そこで原告は右縁組を解消したうえ、前記司法書士に依頼して当庁に親子関係存在確認の調停申立をなし、申立人である原告、相手方である間垣カク、参考人らと通謀して虚偽の陳述をなし、前記審判を受けた。

5  よつて本件審判は真実に反するものであるから、その取消を求める。

二  被告は「本件訴を却下する。」との判決を求め、請求原因事実は知らないと述べた。

三  当裁判所は職権により証人間垣茂及び原告本人を各尋問し、大阪家庭裁判所堺支部昭和五六年(家イ)第三四一号兄弟関係不存在確認事件の記録を取寄せ、証拠調をなした。

理由

一  本件記録中の除籍謄本、戸籍謄本、戸籍抄本、当庁昭和三九年(家イ)第九〇号親子関係存在確認調停事件及び同年(家)第五〇八号戸籍訂正許可審判事件の各審判書によれば、請求の原因12の事実が認められる。

二  ところで、原告の本件訴えは、家事審判法二三条の審判がなされ、同法二五条の異議申立期間内に異議申立がなく、確定した後に、右審判が虚偽の供述に基づいてなされたことを理由とする審判取消の申立であるところ、かかる申立は審判をなした家庭裁判所の管轄に属し、再審に準ずる審判取消の訴えであり、民事訴訟法四二九条ないし四二八条が準用されると解するのが相当である。

そうすると、本件訴えは、審判確定後五年を経過しており、再審事由は当事者及び参考人らの虚偽の供述(民事訴訟法四二〇条一項七号)であり、同法四二四条四項、四二五条に該当する場合でないことは明らかであるから、同法四二四条三項によつて不適法な訴えということになる。

しかしながら、家事審判法二三条の審判は当事者の合意を前提とし、非公開でなされ、かつ、対審による厳格な手続を経たものではないこと、親子関係の存否は社会の基礎をなすもので、その適正な維持は公益に重大な関係があり、当事者の任意処分は許されず、実体的真実の形成が強く望まれるところであること等を考慮すれば、民事訴訟法第四編の規定を厳格に準用するのは相当でなく、審判が実体的真実に反していることが明らかであり、審判において虚偽の供述をなすに至つた事情及びその後の身分関係の変動を考慮すると、審判を取消すことが公序良俗に適合するという特段の事情がある場合には、除斥期間の規定にかかわらず、審判を取消すことができると解するのが相当である。

三  そこで、本件審判が真実に反することが明らかであるか否かについて検討する。

前記各書証、大阪家庭裁判所堺支部昭和五六年(家イ)第三四一号兄妹関係不存在確認調停事件の一件記録、証人間垣茂の証言及び原告本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。

1  訴外亡間垣多三郎(明治二五年一一月二七日生)と訴外亡間垣カク(明治二六年二月一〇日生)は大正一〇年四月二一日に婚姻届をなした夫婦であるが、右以前に長女タミエ、長男茂(大正五年一月一〇日生)、二女キミエ(大正一〇年三月一四日生)をもうけており、その後右夫婦の間には、三女アキコ(大正一三年二月一三日生)、二男久義(大正一五年一一月二一日生)、三男博(昭和五年二月一日生)が出生したが、多三郎は博が出生した後に女性と福岡県方面へ駆落ちし、熊本県○○○郡の家には、カクと子供ら及び多三郎の父母が残された。

2  昭和一一年二月一日多三郎の父多一郎が死亡したため、多三郎は熊本の家に帰り、茂を除く子供を福岡に引取り、多三郎の母ミヨ、カク及び茂が熊本の家に残つた。そして、ミヨの死亡後、昭和一四年ころ、カクと茂は、カクの妹である訴外亡田守ハル(明治二一年一一月五日生)を頼つて大阪へ赴き、大阪市住吉区○○町のハルの家の二階に同居し、茂は昭和一四年九月ころ、応召して中国に渡つた。

3  原告は昭和一六年九月二九日にハルによつて昭和一一年七月二四日生まれとして届出がなされ、ものごころがついた頃には、大阪市住吉区○○町の家でハルと同女の内縁の夫である訴外亡山田陽一(明治一五年一月一四日生)によつて養育されていた。

山田陽一は長崎県西彼杵郡○○村の出身であるがハルと同棲した後も、双方とも戸主であつたことなどから婚姻届をせず、昭和一四年八月一六日、人を介して滋賀県出身の訴外川西好一と養子縁組し、好一は昭和一四年九月の召集解除後、○○町の陽一、ハル夫婦の家に同居し、昭和一九年ころ再び応召した。

山田陽一とハルは終戦直前に○○村に帰住し、大阪の家には原告とカクが残された。

4  茂は昭和二一年に復員し、福岡県嘉穂郡に住んでいた父を訪ね、次いで大阪のカクを訪ねたところ、カクと原告が二人で生活していたので、二人を熊本の本籍地へ連れて帰り、原告を熊本市立○○小学校へ転入させた。

5  原告は昭和二四年三月に○○小学校を卒業後、叔父である訴外上山喜一郎方に預けられ、昭和二七年に中学校を卒業してから農業の手伝いをしていたところ、山田陽一、ハルの看護のため昭和二八年ころ○○村に行き、ハルらと同居した。

そして昭和三二年ころ、○○村で結婚したが一年後に離婚し、昭和三四、五年ころ、佐世保市の駐留米軍の売店に勤務するようになり、一人暮らしをしていたところ、昭和三六年ころ、ハルがカクを伴つて原告方を訪れ、話し合いの結果、原告がカクを引取つて扶養するようになつた。

6  原告は昭和三六年一月二〇日カクと養子縁組してその届出をなしたが、昭和三九年に至つて右離縁の届出をなすとともに親子関係存在確認調停の申立をなし、右審判手続において茂の所在が判明し、原告、カク、茂らはいずれも、原告が亡間垣多三郎とカクの四女である旨の供述をし、その結果本件審判がなされた。

7  本件審判の後、茂と原告、カクとの間で音信が復活し、カクが老齢のため徘徊したりして原告一人では看護が不十分であつたことなどから、昭和四〇年ころ、茂が原告・カクと同居するようになり、間もなく茂と原告は内縁関係となり、大阪府堺市へ転居した後の昭和四三年五月五日右両名の間に明美が出生し、原告の子として届出された。

なおカクは昭和五六年五月一二日大阪府堺市において死亡した。

以上認定した事実によれば、原告は亡間垣カクか亡田守ハルかいずれかの子であると推認できるものの、そのいずれであるとの認定は困難である。

原告はその本人尋問においても、前記取寄記録中の家庭裁判所調査官に対する陳述においても、自己の母親が誰であるかについて明確な認識及び証拠を有していない。

次に取寄記録によれば、間垣多三郎とカクの二女である訴外間垣キミエは、家庭裁判所調査官に対し、原告が田守ハルと山田陽一の子である旨明言しているが、同記録によれば、キミエは幼少時から多三郎の母ミヨと生活し、他の兄弟とは一緒に暮らしていなかつたことが認められ、また、前記認定のとおり、昭和一一年ころ間垣多三郎に引取られているのであるから、同人が原告の出生について真実を知る立場にあつたかは疑問であり、右供述をもつて原告がハルの子であると認定することはできない。

証人間垣茂はその証言及び前記取寄記録中の家庭裁判所調査官に対する陳述において、原告は間垣多三郎とカクの子ではなく、昭和一四年ころハルを頼つて大阪に行つたころ、ハルと山田陽一に養育されていた女の子が原告であり、右両名の子であると供述する。

しかしながら、取寄記録中の山田好一の家庭裁判所調査官に対する陳述によれば、同人は山田陽一の養子となつた後、昭和一九年の応召前に大阪の陽一とハルが住んでいた家に一時同居していたことが認められ、好一は、陽一方には女の子はいなかつたと陳述しているのであり、右陳述によれば、間垣茂の前記供述はにわかに措信し難い。

四  そうすると、原告が間垣多三郎とカクの子ではなく、本件審判における原告、カク及び茂の供述が虚偽であると認めることはできず、かかる事案においては、結局本件訴えは民事訴訟法四二四条一項、三項により、再審期間経過後の訴えというほかはなく、かつ、再審事由があると認めることもできない。

五  よつて本件訴えを却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 仲家暢彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例